プロフィール
【経歴】
◆2001年(平成13年) 大東文化大学文学部教育学科卒業
→「書道界の東大」と言われています。書道界で活躍されている先輩が多すぎて全てご紹介できませんが、わかりやすいところだと「平成」を書いた河東純一さん、
「令和」を書いた茂住修身さん、
「中居正広のミになる図書館」美文字先生の中塚翠涛さん(は2つ位下だから先輩ではありません(笑))、
などなど。毎年8月の全国戦没者追悼式の標柱「全国戦没者之霊」を書いた新井光風さんは卒業生ではなく教授(新井先生の中国書道史の授業は熱があって好きでした)。全員知り合いでもないけど(笑)、でも誇らしいですね。箱根駅伝だけではないんです ( ノД`)シクシク…
◆2009年(平成21年) 東洋大学通信教育学部国文学科退学
→教職課程に必要な授業だけ単位を取って、あとは何となく会社員しながら在籍していたら8年間の満期自動退学になってしまいました(笑)
【資格】
◆全国書写能力検定連合会師範
→働き始めてから取得しました。
◆日本書道教育協会教育部師範
→大学3年生の時に取得しました。
◆漢字検定2級
→高校3年生の時に取得しました。
◆学芸員(博物館・美術館・水族館などで働く時の資格です)
→大学4年生の時に取得しました。実習は江ノ島水族館系列の相模原市にある「相模川ふれあい科学館」でした。
◆中型二輪(400ccのバイクです)
→高校3年生の時に取得しました。
*高等学校教諭一種(書道)免許状
*中学校教諭一種(国語)免許状
教員免許は教育実習までの教職課程を全履修して単位をいただきましたが、その後すぐに就職が決まったため県への申請はせず。
また最近の法改正により、履修後10年以上が経過したため消失。
大学で教員免許継続の為に数十時間の講座を取得すれば、申請は可能なようです。
【これまでの歩み】
◆1977年(昭和52年) 座間市栗原生まれ
4畳半と6畳の借家に生まれました。
23歳の時に家族で引っ越すまで、のちに生まれる弟と4人で暮らしました。
◆1984年(昭和59年) 相武台幼稚園卒園
1人の男の子によくちょっかいを出されていました。
喘息のかかりつけのお医者さんに話をしたら、
「ケガしたら治してやるから、ぶっ飛ばしてこい!(女医)」
と励まされ、その通りにしたら仲良くなれました。
◆1990年(平成2年) 座間市立相武台東小学校卒業
4年生の時に字の上手な子が何人かいて、負けたくなくて書道教室に通い始めました。
スポーツは割と得意で、何でもやりました。
5年生の時にイエロースネークスという少年野球チームに入りました。
◆1993年(平成5年) 座間市立座間中学校卒業
3年間、野球部で過ごしました。
そこで知り合った私を含めた4人は今でも飲みに行きます。
◆1996年(平成8年) 神奈川県立座間高校卒業
入学直後の学力判定テストで、40人中35位でした…。
勉強は中の上くらいは出来た方だったので、強烈なショックでした。
結局高校生活は中途半端に予習と復習をこなすだけの暗黒時代でした。
友人のすすめで始めた読書にはまり、高校唯一の収穫でした。
軽く進学校でしたが、「習字の先生」「料理人」という2つの夢がありました。
大学受験はしないつもりで、そのかわりに中型バイク(400cc)免許と漢字検定2級を取得しました。
調理専門学校に行こうとしましたが、親と揉めて高3の10月から受験勉強を始めました。
全部落ちて浪人決定。
◆1996年(平成8年) 東進ハイスクールにて1浪
受験合格の為だけに存在する浪人生という立ち位置は、私を強くしてくれたと思います。
どうせ大学に行くなら、「書道界の東大」と呼ばれる大東文化大学に行きたいと思いました。
けど浪人生の性で、より偏差値の高い有名大学に行きたいとも思いました。
私なりに必死に勉強しました。
5校受けて、合格は大東文化大学だけでした…。
結果として良かったと、今は胸を張って言えます。
でもその時は「思っているほど、私は勉強出来ないんだな」ってしみじみ思いました。
なので受験では惨敗だったけど、読書を生涯継続しようと決意しました。
◆1997年(平成9年) 大東文化大学文学部教育学科入学
1・2年は埼玉県東松山市まで、相武台前から片道2時間半。
3・4年は東京都板橋区まで、片道2時間。
吊り革につかまりながら寝る技を身につけました(笑)
まだ書道学科が無い頃の入学です。
全国の書道猛者たちが日本文学科か中国文学科を受験した中、私は教育学科を選びました。
理由は文学よりも教育学の方が書道の先生には必要だと思ったからです。
また卒論以外は、細分化された書道の授業を日文・中文と同様に受けられる点も魅力でした。
ちなみに裕福ではなかったので、日本育英会から年間60万円の奨学金を借りました。
4年間で240万円の借金を返し終えたのは、2年くらい前だったでしょうか?
長かったー(笑)
◆2000年(平成12年) 座間市栗原から座間市入谷へ引っ越す
23年間過ごした借家は、取り壊されて今はありません。
◆2001年(平成13年) 同校卒業
卒論は「小学校における篆刻教材の取り扱い」で書きました(笑)
大東文化大学のパンフレット中央に映っているのが、篆刻家河野隆(鷹之)先生と私です。
少人数の篆刻Ⅱの授業で、濃密な時間をくださった尊敬できる篆刻の師です。
大東の教育学科は、小学校・幼稚園・保育園の免許が取得可能な少し特殊な場所でした。
よってクラスメイトとは授業があまりかぶりませんでした。
教育学科では浮き気味で、書道の授業では日文・中文に囲まれて四面楚歌。
勝手に敵対視して、「日文・中文の奴らには負けねえ」って思ってました(笑)
バイトは色々しました。
年賀状・暑中見舞配達、オフィス掃除、夏休みのリゾートホテルに住込(クローク・大浴場管理・ゴミ収集・ヨット管理)、カレー屋、パン屋、居酒屋、倉庫のパレット荷造、会場設置、ペットボトル検品、夏休みのペンションに住込(全般)、ケーキ工場、古本屋などなど
ここから学んだ教訓は「仕事にこだわらなければ、何とか食っていける」ということ。
バイトやりすぎによる弊害です。
20年後は?30年後は?という視点に欠けた、バカヤローでした(笑)
◆2001年(平成13年) 東洋大学通信教育学部国文学科入学
新卒の強みとかも知らずに、就職超氷河期にかこつけて進学希望で卒業。
東洋大学の通信教育部に3年次編入して、足りない教職課程を履修して教員免許を取得するためです
大学4年生の時に始めた古本屋のアルバイトを継続しながら、リポートを提出しまくりました。
3年間、実家寄生のフリーターをさせてもらえたおかげで教職課程は全履修が出来ました。
ちなみに高等学校教諭一種(国語)免許状は漢文の単位が足りずに取得できず(笑)
◆2004年(平成16年) 株式会社タックルベリー(中古釣具店)に入社
教員免許取得に励んだものの、この頃は採用が狭き門でした。
書道教室をやるにしても、1度は社会に出て働くべきだと思っていました。
年齢的にも焦りを感じながら、フリーペーパーで見つけたのがタックルベリー(中古釣具屋)でした。
元々釣りが趣味でしたが、働くスタッフは変態レベルの釣りジャンキーばかりでした。
なので莫大な量の釣り書籍を買って勉強しました。
ここでは販売業の楽しさも厳しさも教えていただきました。
良いことも悪いことも勉強させていただきました。
◆2007年(平成19年) アトピー発症
30歳にして突然のアトピーを発症しました。
後から思えば、仕事が最も忙しかった時期でした。
また節約の為、カップ麺などで食事を疎かにしていました。
かゆみって命はとられないから、軽く考えられがちだと思います(発症前は私もそうでした)。
かゆくて寝られないから酒を飲み、それに反応して余計にかゆくなる…。
今でも全身にステロイドを塗ってます。
アトピーの子供を見ると、抱きしめたくなります。
◆2009年(平成21年) 同校を8年間の在学満了につき自動退学
教職課程を履修するために3年次編入したので、卒業は目指していませんでした。
でも今考えると、働きながら頑張って卒業すれば良かったかなとも思います。
◆2010年(平成22年) 結婚
入谷の実家から厚木市関口に引っ越しました。
タックルベリーの複数店舗の中間地点で、交通の便が良かったです。
◆2013年(平成25年) 両親死去
父(62歳)が5月に肺炎、母(60歳)が8月に肺がんで亡くなりました。
このとき36歳の私は、たぶん初めて真剣に「死」について考えました。
もし母と同じ60歳で死ぬとしたら、私の人生はもう60%過ぎてしまったことに気付かされました。
これから何をすべきか、何をしたいか考えました。
◆同年 厚木市関口から座間市入谷へ引っ越す
両親のいなくなった実家に住むことにしました。
◆2016年(平成28年) 株式会社タックルベリー(中古釣具店)を退社
12年間の在籍で、うち10年間を店長として過ごしました。
仕事内容にも仲間にも不満がない会社で正社員。
この条件で退職を決断するのに随分とかかってしまいました。
この時39歳。
人生の65%が過ぎて、残り35%。
40歳を目前にして、このタイミングしかありませんでした。
◆2017年(平成29年) 貴拙舎 武井智弘書写書道教室を開く
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
PC初心者の私はホームページ作成にあたり、書道に限らず様々な教室系のページを参考にさせていただきました。
その結果、プロフィールの部分では
・メチャメチャ簡略
・輝かしい受賞歴が羅列
というような掲載を散見いたしました。
ただ私が「教える側」ではなく「教室を探している側」だったらと考えた時、
プロフィールには「習う先生の人柄」が少しでもわかる記述が書かれていたら嬉しいな、と思いました。
また先生の「凄い所」と同時に「ダメな所」も知りたいな、と思いました。
そこから生まれたのが【これまでの歩み】です。
自分の過去を不特定多数の人にさらすのは、恥ずかしく、また勇気も必要でした。
でもこれを読むことで、1人でも多くの方にこの書道教室に興味を持っていただけたら幸いです。
まぁ逆に生徒さんを逃している可能性も大きいですが、、、(笑)