●お知らせ●・ブログ的独り言
2026-03-27 11:15:00
😣「書道」と呼ぶ代償😣
我々が普段している稽古を「習字」って言われると、何だか蔑まされている感じがしませんか?
「『書道』って呼べ!」って言いたくなった経験はありませんか?
「〇道」って格好いいしね(笑)
日本人は「果てしない道」が大好きだから、「終わりのない稽古に精進しております✨<(`^´)>」みたいなこと言いたいですよね。
●書写・習字(先生の手本あり)
→文字を正しく整えて早く書く
→正解がある
●書道(古典臨書か手本なし)
→文字を素材とした造形芸術(文字の色々な美しさを学ぶ)
→正解がない
ガチ書道界では当たり前過ぎる定義ですが、、、
芸術を目指すなら、ホントは「書道」でなく「書」なんですが、、、
あらためて自分の稽古を「『書道』って呼べ!」って言えますか? 
日本の「書道教室」と名乗っている9割方は、実際のところ「習字教室」なのが実情です。
当教室で私の手本を見ながら書いている稽古は、定義に当てはめると「書道」ではなく「習字」です。
それらは書道に入門する前の「書道初心者になるための基礎」だと思って下さい。
書道を学ぶ為の基礎体力向上を目指した「手本のコピー作り」です。
野球で言えばキャッチボールやトスバッティングに当たります。
いくらキャッチボールが上手でも、それは野球が上手な訳ではありません。
普通に投げて、普通に捕って、普通に打てて、初めて守備の連携や打線の戦術を学べる訳です。
文字の書き方に正解はありません。
つまり手本をもらえなくなってからが、本当の書道です。
正解をもらえないから、終わりのない「道」な訳です。
手本をもらえない茨の道を進む「覚悟」と、手本をもらえなくても学べるだけの力を養う絶対的な「稽古量」があって、はじめて「『書道』って呼べ!」って言える訳です。 
手本が欲しいうちは習字。
自分の稽古を振り返って、、、
●手本をもらっているうちは
●「覚悟」と「稽古量」に自信がないうちは
とりあえず、「私は習字を習っています」って控えめに言っておきましょう。
それが言えれば、上手・下手に関係なく「品格」「教養」を備えた未来の求道者です。
私も手本をもらうことはありませんが、とりあえずまだ修行が足りないと自覚しているので、、、
「シュージのセンセ」で通しています(^◇^;)
最後に付け加えますが、相手の読みやすさを意識した「正しく整えて速く」を目指す習字は尊いです。
また決して簡単ではありません。
ただ目指すものの違う、答えのある「習字」を、、、
様々な美しさを学ぶ、答えのない「書道」と呼んでしまうことが罪なだけです。
誤解の無きように。












